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なんで「ファドが無形文化遺産」なのか、っていうのを調べていくうちいろいろわかったこと-その2 [ファド 無形文化遺産]

 

さあ、ポルトガルのファド「無形文化遺産」登録にあたって、

今度はポルトガルが提出した、「Nomination Sheet」を

訳してみます。

すごく長くて、延々「ファドの説明」です。

けっこう観念的なような印象を受けますが、

ユネスコのCriteria(登録基準)に準ずる形で書かれているので

しょうがないかな。

あと、歴史的な背景。サラザール政権下でファドがどんな

役割を担わされたか、革命後どういう扱いを受けたか、

そして、どのように復活したかについては一切触れられてません。

まあ、申請書にそんなネガティブなことかいてもねぇ。

で、がんばったものの今回は、「保護対策」にまでは

いけませんでした。続きはその3で。。。

とにかく、ofが多すぎる原文で。。。読みづらかったごめんなさい。

原文読んでね。では。

***以下、訳***

人類の無形文化遺産保護のためのコンベンション 無形文化遺産の保護のための政府間委員会 201111月 第6回会議 バリ、インドネシア
2011年人類の無形文化遺産・代表リスト登録のための
ノミネーション・ファイル no. 00563 

A.        締約国(複数可)

 ポルトガル

B.                     分野の名称

 

(i)        英語もしくはフランス語による分野の名称

 

ファド、ポルトガルの都市における大衆歌謡

 

(ii)   関係する団体の言語・文字による分野の名称

 

Fado ファド

 

(iii)      分野の別称

 

都市における大衆歌謡 都市における歌謡

 

C.       分野の特徴

 

(i)      関係する団体、グループ、(該当があれば)個人の識別

 

ファドはリスボンのさまざまな地域で広く実演され、無数の町内会や

その他草の根グループ、個人、たとえばアーティスト(歌手、演奏者)、

作家(作曲家、詩人)、楽器職人、出版社、レコード会社、そして

その他そのジャンルに熟達する一流の支持者たちによって表現され

ているジャンルである。 ファドはプロが各地を巡業したり、小さな

「カザ・ド・ファド(ファドが演奏されるレストラン)」のネットワークの中で、

店の演奏家・歌手兼店員と演奏したり、それだけでなく、アマがリスボン

の旧い地域のいたるところに無数にある庶民の集まりの場で演奏している。

歌手と伴奏者によって演奏され、その伝承は日常的に伝統的な演奏

スペースにおいて、口頭で先輩から若手に対して行われ、親族の中で

何世代にも受け継がれていくことも多い。本ノミネーションとその中で

提案されている保護対策は、これらの団体、従事する人々の代表者たちが、

その構想と遂行において、大いに関わってきた結果によるものである。

(ii)    分野の地理的位置と範囲、関連する団体、グループ、個人の所在地

 

世界中の様々な場所で生まれ、過去のいろんな要素で構成されてはいるが、

ファドは生来リスボンで培われてきたものである。ラジオ放送開始の後

ほぼ同じ頃から、20世紀の3分の2の間にファドは国家的規模で広まった。

世界的に広まったのはもっと最近のことで、1950年代から70年代にかけて

である。 しかしながらファドは、今もリスボンの、アルカンタラ、アルファマ、

バイロ・アルト、バイシャ、マドラゴーア、モウーラリーアなどの古い地域では、

地元の日常生活の中に深く染み込んだ馴染みのものだ。ポルトガルの

他の町へも伝わり、同じように外国のポルトガル人移住者のコミュニティ

にも広がった。ファドはそれゆえに、今日まで、リスボンの生きている象徴

であり、まとめていえばポルトガルの文化的アイデンティティであるのだ。

(iii)                 分野によってあらわされる領域

 

        口頭で伝承され表現される。無形文化を伝える手段としての言語を含む。

 

        実演される芸術である。

 

        社会的慣行、儀式、祭事行事である。

  

D.       分野の概要

 

ファドは曲と詩を融合した演奏ジャンルで、リスボンの様々な地域で広く

実演されている。ファドは、アフリカ系ブラジル人舞踏歌謡、自国の伝統的

な歌謡や舞踏ジャンル、絶え間なく流れてくる移民によってもたらされた

地方の伝統音楽、19世紀初頭における国際都市で流行した音楽など、

多文化が混ざりあい生まれたものと言われている。ファドの歌は通常、

一人の歌手が歌う。男性・女性、ともに歌い、伝統的に鉄弦を張った

アコースティックギター1台とポルトガルギター(洋梨の形をした12弦の弦楽器で、

ポルトガルにしかなく、ソロ・インストルメント曲のレパートリーも豊富にある)

1台が伴奏する。ここ何十年では、2本のポルトガルギター、1本のギター、

1台のベースギターに拡張された編成も多くみられるようになった。

ファドは、プロが各地を巡業したり、小さな「カザ・ド・ファド(ファドが

演奏されるレストラン)」で演奏したり、アマがリスボンの旧い地域の

いたるところに無数にある庶民の集まりの場で演奏している。

その伝承は日常的に、伝統的な演奏スペースにおいて先輩から

若手に対して行われ、親族の中で何世代にも受け継がれていくことも多い。

海外公演などを通してファドが普及することによって、ポルトガルの

アイデンティティを象徴するものとしてのイメージを強めていき、

その結果、他の伝統音楽を取り込みながら、異文化間の交流を導いている。

 

1.                   分野の識別と定義 (基準 R.1参照)

 

ファドは通常、男性もしくは女性によって、独唱で歌われる歌であり、

伝統的に1台のポルトガルギターと1台のアコースティックギター

(両方とも鉄弦)が伴奏する。が、ここ何10年かは、伴奏が2台の

ポルトガルギター、1台のギター、1台のベースギター(もしくウッドベース)

で演奏されることもしばしばある。ポルトガルギターは、梨のような形をした、

シターンに分類される楽器で、12弦である。ポルトガルにしかなく、

アコースティックギターと共に、歌の伴奏のために特に使われるが、

多くのソロインストゥルメント楽曲もおおくある。このジャンルはもともと、

あちらこちらのアマチュアたちがインフォーマルな場で実演するものだったが、

その中から大多数のプロの演奏者が生まれた。しかし、プロとアマの間には

永久的な交流がある。若い歌手や演奏者は通常、日常的に口伝えでファドを

教わり、それは伝統的な実践スペース(町内会とかカザ・ド・ファドとか)

で行われる。親族の中で何世代にも受け継がれていくことも多い

年長の尊敬する先輩から日常的に教わるということは、ファドを伝承し

再生するプロセスにおいて、重要な要素である。ファドは19世紀の

2四半期からリスボンで発展し、リスボン市民のほとんどが、それが

町の文化遺産という重要な役まわりを持つことを認識してきた。 

また、その実演や表現を通じて、近代都市成立のプロセスや同時代

に起こった真実を映し出している。ファドの歴史は、世代から世代へ

伝承し、その歴史的社会的体制の中で継続的にファドを生み出しては

再生しつづけた様々なコミュニティ、グループ、個人の貢献によって

発展した。今日でも、ファドは今なおそのジャンルに属するすべての

個人と団体(歌手、演奏者、作曲家、プロであれアマであれ)に、帰属意識

継続意識を与えてくれるアイデンティティの象徴なのである。

1930年代から60年代初期まで、ファド界には多く一流パフォーマーがいた。

 アルフレッド・マルセネイロ、エルシリア・コスタ、ベルタ・カルドーソ、

エルミニア・シルバ、マリア・テレーザ・デ・ノローニャ、ルシリア・ド・カルモ、

カルロス・ラモス、フェルナンド・ファリーニャなどである。

彼らはそのレパートリーや演奏を再定義した。

海外でキャリアを気付いたのは、1950年代初期からのアマリア・ロドリゲス

であり、カルロス・ド・カルモ がそれに続いた。彼らは世界中の観衆を

ファドの虜にした。彼らやその他の先駆者たちは、若いパフォーマー

たちの偉大なる手本であり続けている。この20年の間ファドは、毎年

新たに生まれてくる多くの若く素晴らしい歌手、演奏家、作曲家、詩人

とともに、つねに膨らんでいく活力の象徴を示し続けている。

ファドは基本的に口頭で伝承される。それが書き残され始めたとしても、

記録された楽譜は、その演奏の特徴である無数にちりばめられた

「即興」をすべて拾い集めることは不可能だろう。

現在の作品の多くは、限られた数の伝統的なメロディに基づいており、

20世紀の大半の期間を通してそれは変わることなく残されており、

例えそれらの曲がたえず新たな形で演奏されてきたものであっても、

いまなおこのジャンルの中心をなすものと考えられている。

しかし、ファドの作品は新しい曲や詩によって常に増え続けている。

盛んに続けられる他の伝統音楽と多文化間の交流は、ファドが演奏

されるコミュニティの文化的アイデンティティを、常に再形成する役割を

再認識させるものである。

2.                   知名度・認知度の確保と、異文化間の対話促進に対する貢献
(基準 R.2参照)

 

ファドはそれが実演されるコミュニティの文化的アイデンティティを、

無形で表現するものとして重要な役割を演じている。そして、

その歴史を通して、また現在も、他の現存する伝統音楽と継続的に

創造的な交流ができることを示してきた。このジャンルの発展は、

その基本的なアイデンティティが周知・認知され続けるようにしつつ、

国内・国外レベルを問わない他の音楽ジャンル、特にアフリカや

ブラジルで生まれ、現在リスボンの住民数の重要な部分を占める

ポルトガル語圏コミュニティとの音楽との交流に対して、広く門を

さらに開いていくであろう。そういった意味では、このジャンルはますます

多民族化・多文化化している社会において、社会的にまとまり融合して

いくための何らかの戦略に、欠くことのできない一部分であるのだ。

代表リストにファドが登録されることにより、文化的多様性、異文化間

の対話の重要性が、そしてまたそういった枠組みの中での無形文化遺産

の中心的な地位が、より強く世界に認知されるであろう。

ポルトガル国内・国外のポピュラー音楽興行において、

ファドが今日成功を収めていることで、その役割が、国の文化的な

生活や国際的表現の重要な部分であるという認識が強まり、

その結果リスナーや従事者の数が相当な数に増えてきた。

ファドの「真贋」の基準を定めることは現実的ではなく望ましくもない。

それを実演しているコミュニティが定義しているように、それは過去に

おいてファドが常に内的変化を起こしてきたプロセスのどの局面にも

相当しないであろうし、あらゆる生きた芸術ジャンルにおいての、

新しい手法や創造性の自然な流れを妨げる、うわべだけの基準と

して見られるであろう。しかし、ファドの歴史的遺産の維持は、

多くの場合目下危機に瀕しており、間違いなく緊急課題であり、

その実践が継続され強化されることを確実にする取り組みにおける

重要要素である。単なる歴史的記録としてではなく、そのジャンルが

もつ本来の性質を知らしめ、ポルトガル人に文化的アイデンティティを

示すことができる、そしてこのジャンルへの新しい創造的なアプローチ

を刺激する、変ることのない源として。

 


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