ポルトガルの本とか#1 [ポルトガル書籍・辞書など]
「猫と一緒にポルトガル語」は、2009年7月より場所を「掘りごたつ屋敷」に移して、その名も「掘りごたつでポルトガル語」となります。授業レポートはなので今しばらくお休みです。しばし「猫ポルコラム」でお楽しみください。
今回は、私が読んだポルトガル関係の本についてその1。語学をやるには、やはりその国のことを少しでも知ることが大事かと思います。読書も、いろんな窓を開けてくれます。全部招き入れることは、私の頭では無理なんですけど、ちょっと頭に引っかかったことがあれば、それでよしかなぁ、なんて思って読みます。
「白い街へ」
この本むずかしいですね、って言われたことあるのですが、「難解」っていうのとは少し違う。いろいろなポルトガルに関する「記号」に対しての著者のコミットがとても濃厚なので、読み手がついていけないところがある、って言う意味だと思うのです。記号に対する情緒を(悪いんですけど)排除して行くと、色々なキーワードを自分なりに取り込むことが出来ます。まあ、それが個人的に楽しいかそうでないか、って言うのはあるので、好きなように読むのがいいとは思うのですが。私の場合は、建築家の「アルヴァロ・シザ」でした。この後、シザについて意識的に情報を取り込んだりもしました。著者自身の写真は、けっこう好きです。
「レクイエム」
これは好きで2冊持ってるんです。急に読みたくなるときがあって、持ち運べる小さい白水社ブックスの方も買いました。最初に読んだときは、さまざまなポルトガルキーワードに対するイメージが沸かず、読みづらかったのですが、唯一、リスボン古美術館にあるヒエロニムス・ボスの「聖アントニヌスの誘惑」だけは頭に引っかかり、初めてのポルトガル旅行では、この絵を目指してひたすら歩きました(市電の降りる場所がわからなかっただけですが)。その後、またポルトガルに行く前、行ってから、全然行かなかった時期、何度か繰り返し読みました。なんか、麻薬のような本です。中毒性はタブッキのポルトガル三部作「供述によるとペレイラは」や「ダマセーノ・モンテイロの失われた首」よりは強いかもしれない。
「ポルトガルの世界―海洋帝国の夢のゆくえ」
「ルゾフォニア」という言葉と背景と歴史をきちんと理解できる本。小学校か中学校の歴史の時間に「ポルトガルは人種差別のない国」、「ブラジルは人種差別のない国」と教育されたことを、この本を読みながら思い出し、愕然としました。「ルゾ・トロピカリズム」がまったく自分とは無関係ではなかったこと、ある意味その中に巻き込まれていたことを思い知り。大人になり、いろんな書物を読んだり、映画を見たり、外国を旅したり、ジャーナリズムに触れたりすることで、それは大嘘であることは自然に知っていったんだと思う。ところが、同じような年頃の人で、ブラジルに旅したこともあって、ブラジルの文化であるサンバを趣味としてやっている人(♂)が、ブラジル人の先生に向かって「ブラジルは人種差別のない国なので。。。」と恥ずかしげもなく言い放ったのを見て驚いたことがあります。もちろんそのブラジル人講師に「お前何を言ってるんだ?」みたいに扱われていましたけど。。。教育の恐ろしさと、「気づき」のないことの恐ろしさ。
やっぱり、本は読もう。本がすべて正しいわけではない。でも、いろいろ読むことで「気づき」があらわれる。
あ、うまいこと落ちにつながったところで、今日はこの辺で。
※ 左サイドバーに、「夏目友人帳のにゃんこ先生」ブログツールを置きました。時々「にゃんこ先生を召還」をクリックして、外に出してあげてください。
今回は、私が読んだポルトガル関係の本についてその1。語学をやるには、やはりその国のことを少しでも知ることが大事かと思います。読書も、いろんな窓を開けてくれます。全部招き入れることは、私の頭では無理なんですけど、ちょっと頭に引っかかったことがあれば、それでよしかなぁ、なんて思って読みます。
「白い街へ」
この本むずかしいですね、って言われたことあるのですが、「難解」っていうのとは少し違う。いろいろなポルトガルに関する「記号」に対しての著者のコミットがとても濃厚なので、読み手がついていけないところがある、って言う意味だと思うのです。記号に対する情緒を(悪いんですけど)排除して行くと、色々なキーワードを自分なりに取り込むことが出来ます。まあ、それが個人的に楽しいかそうでないか、って言うのはあるので、好きなように読むのがいいとは思うのですが。私の場合は、建築家の「アルヴァロ・シザ」でした。この後、シザについて意識的に情報を取り込んだりもしました。著者自身の写真は、けっこう好きです。
「レクイエム」
これは好きで2冊持ってるんです。急に読みたくなるときがあって、持ち運べる小さい白水社ブックスの方も買いました。最初に読んだときは、さまざまなポルトガルキーワードに対するイメージが沸かず、読みづらかったのですが、唯一、リスボン古美術館にあるヒエロニムス・ボスの「聖アントニヌスの誘惑」だけは頭に引っかかり、初めてのポルトガル旅行では、この絵を目指してひたすら歩きました(市電の降りる場所がわからなかっただけですが)。その後、またポルトガルに行く前、行ってから、全然行かなかった時期、何度か繰り返し読みました。なんか、麻薬のような本です。中毒性はタブッキのポルトガル三部作「供述によるとペレイラは」や「ダマセーノ・モンテイロの失われた首」よりは強いかもしれない。
「ポルトガルの世界―海洋帝国の夢のゆくえ」
「ルゾフォニア」という言葉と背景と歴史をきちんと理解できる本。小学校か中学校の歴史の時間に「ポルトガルは人種差別のない国」、「ブラジルは人種差別のない国」と教育されたことを、この本を読みながら思い出し、愕然としました。「ルゾ・トロピカリズム」がまったく自分とは無関係ではなかったこと、ある意味その中に巻き込まれていたことを思い知り。大人になり、いろんな書物を読んだり、映画を見たり、外国を旅したり、ジャーナリズムに触れたりすることで、それは大嘘であることは自然に知っていったんだと思う。ところが、同じような年頃の人で、ブラジルに旅したこともあって、ブラジルの文化であるサンバを趣味としてやっている人(♂)が、ブラジル人の先生に向かって「ブラジルは人種差別のない国なので。。。」と恥ずかしげもなく言い放ったのを見て驚いたことがあります。もちろんそのブラジル人講師に「お前何を言ってるんだ?」みたいに扱われていましたけど。。。教育の恐ろしさと、「気づき」のないことの恐ろしさ。
やっぱり、本は読もう。本がすべて正しいわけではない。でも、いろいろ読むことで「気づき」があらわれる。
あ、うまいこと落ちにつながったところで、今日はこの辺で。
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